烏あれこれ@熊野神社神幸祭:2026年4月29日。
丸太町東大路北西角にある熊野神社の神幸祭で見かけた烏を。最初は門扉。
次は、神幸列出発前(12時過ぎ)の様子。左手に神職、熊野少年勤王隊が待機中。次は、上の画像の唐破風の上部の烏。これは以前にもUPしました。その下の軒にも、親子らしき烏が3羽。左右に下がる提灯にも烏。目が大きく可愛らしい。約15分の神事後、神幸列(行列)は神社を出発。12時35分過ぎ、聖護院へ。上の画像、錦の御旗の後ろに白熊(はぐま)のお子4人。次は児武者(こむしゃ)。熊野少年勤王隊に続く、今年の児武者は1人で女の子。その背中の旗にも烏が。太鼓・猿田彦(天狗・導山)の後に獅子。続く宝具(幡=はた&盾等)にも烏が。次は、上の画像右奥の盾に見える烏。チョッとピン甘画像ですが。続いて、錦蓋(きんがい)・菅蓋(かんがい)、そして神輿が門をくぐります。そして、宮司さん(左手前)と神職(奥・禰宜さんかな)も。先に入って門の片方に置いた、菅蓋(左)・錦蓋(右)を左右に分けます。こちらが錦蓋。上の金の烏と瑞雲、下に黒い烏。菅蓋は全体の意匠が異なりますが、同じく上に金の烏、下に黒い烏。ということで、神幸列のメンバーが整列し、聖護院で神仏習合の儀式です。右に聖護院門跡門主、左に熊野神社の宮司さんと神職。次の画像は、儀式中の太鼓担当の法被(黒)と神輿担当の法被(白)の背中。「熊野少年勤王隊父母の会」の皆様の背中にも烏が。京都では神仏習合の様子を各所で見かけますが、これもその1つ。で、終了。門内は徒歩だった神職も、門の外は騎乗姿で神輿を先導。最後は宮司さん。白馬がカッコ良い!…ということで、最後は本殿に飾られていた剣鉾。行者橋、剣鉾好きですので錺(かざり)部分の大写しを。なお、神武天皇東征の道案内をしたとされる八咫烏(やたがらす)ですが、『記紀』には3本足の記述無し。平安中期(930年代)の『倭名類聚抄』が初出とか。
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