東福寺涅槃会に赴いて見かけたあれこれを:2026年3月16日。
東福寺では3月14~16日に涅槃会が開かれます。ご接待の甘酒の画像から。
東福寺は伽藍が一直線に並ぶ禅宗寺院様式。が、南端の勅使門は西向き!上の画像左端の法堂(はっとう)、中の三門は南向き。右端の勅使門が下の画像。次が境内図。勅使門左の通行可能な六波羅門も三門・法堂LINEとはズレてます。*次の境内図は東福寺のHPから転載させていただいてます(一部改変)。南端の白壁の塀を背中に、思遠池の石橋・三門を。奥に微かに法堂が見えます。特別公開中の三門には、室町幕府4代将軍足利義持の手になる「妙雲閣」の扁額。吉山明兆(兆殿司)&弟子の寒殿司による天井画。宝冠釈迦如像・十六羅漢も。上の画像の法堂に吉山明兆・筆の涅槃図が。次は一華院に貼られたポスター。この涅槃図は猫(その形はポスター右下)がいるので有名。蒼龍図は堂本印象・筆。上は、法堂から三門を振り返った画像。法堂左手(東側)には、甘酒のご接待所。で、最初の画像の甘酒に戻る訳です(笑)。隣に最勝金剛院への通路が。公卿・九条兼実を指す「月輪殿下兼実公本墓」の石標横の梅には「マヤ紅梅」の札。兼実は平安末~鎌倉初期の1級資料・日記『玉葉』の著者。反対側には蝋梅か。兄は歴史書『愚管抄』の著者・慈円。白と紅の斑の木瓜(ぼけ)と思われる花も。進むと門の奥に墓所が広がり、中国系・韓国系らしきお家のお墓も散見。どのような背景があるのでしょうか。ここにも、マヤ紅梅と思しき梅が。進んでいくと、大慧殿(宗務本院)前の参道には瓦が埋め込まれていました。1881(明治14)年に法堂が焼失した時の瓦とか。次は、九条兼実本廟。九条兼実は高校教科書にも登場し、有名。なお、建物・涅槃会等の詳細は割愛。
この記事へのコメント
「涅槃団子」撒きというのがありました。
行ったことはありませんが、小学校卒業の時に地区の皆さんからその涅槃団子をお守りにともらった記憶があります。お釈迦様の骨と説明されたので、あんな昔の人の骨がまだあるのかとトンチンカンな事を思った天然な子供でした。
とても魅力的な名前の涅槃団子をNETで調べると、北陸方面で盛んなようですね。5色の物や動物の形のような物があるようでス。そのお団子が撒かれる、何と素晴らしい行事でしょう。
仏舎利というのは、釈迦が亡くなった後、8カ所のお寺に分骨されたようですが、その後、各地のお寺でも欲しいという要求が絶えなかったそうです。その時、仏舎利は無限に増幅するという超ウルトラ級の考え方が生まれるという融通無碍さを発揮して、現在に至っています。実際には、水晶他の宝石粒が納められているのですが。従って、AK様の感想は頓珍漢でも天然でも無いのです(笑)。
寺社は、この例に感じられるように、すぐに伝説を生み出しますのでゆめゆめ気を抜かないようにしなければなりません(笑)。