今月の米村さん:2025年4月。
長い間、前年とほぼ同じ展開だったのでUPせずに来たのですが、新門前通の高級料理店「新門前 米村」(以下、「米村」さん)の店頭ディスプレイが、3月半ばから久し振りに変わっていたので、夜ヴァージョンで。全体の光景から。
そう、「大阪・関西万博」関連!…下に花・人物8人・万国旗が置かれています。壁には、1970年の大阪万博(日本万国博覧会)のポスター。が、記憶が無い!行者橋、シンボルマークと三波春夫の曲は覚えていますが、行った記憶も無い!*画像はWikipediaから転載しています。デザイン制作は大高猛。20歳だったので、国家的行事に反発していたのかも(笑)。次は、左半分の人物。国が推測できる人もいれば、そうでない人も。次は右半分。世界の国・地域の象徴でしょうから、分からなくても良いのでしょうね。最後は正面から。当時、ポスターに凝っていたのに、何故か記憶が無い(笑)。1964年の東京オリンピックのポスター(4枚)は鮮明に覚えているのですが…。
この記事へのコメント
父親が当時大阪の看板屋で働いていて万博関係の仕事もしたようですが、本人は万博に完全に無関心で行ってはいないとか…逆に建設途中の会場に頻繁に出入りしていたのは貴重な体験ではあります。
>国家的行事
先日、坂本龍一の3回忌特番的な番組をNHKFMでやっていたので何となく聞いていましたら、坂本が当時の現代音楽の大物が手掛けたパビリオンに通っていたというエピソードが紹介されていました。1974年頃に企業連続爆破事件の容疑者として公安に完全マークされていたという人物と協業していたほど新左翼寄りだったはずの人だから万博反対だっただろうと思っていたので…とちょっとずっこけましたが、音楽の魅力には勝てなかったのだな、と思いました。
ところで、坂も龍一は行者橋より1学年下の方ですが、確か新宿高校に通っていたはず。行者橋のような四国の田舎者は大学に行ってから、全共闘運動や新左翼の空気に触れましたが、坂本龍一が新宿でウロウロしていたのなら、そりゃ当時の雰囲気から考えると新左翼寄りに傾くのは無理からぬことでしょうね。
ですが、まぁ、音楽に目覚めつつあったということで、万博だろうが関係ないと思っていたのでしょう。国家的行事と言えば、確かにそうなのですが、日本全体が「こんにちわぁ、こんにちわぁ」と三波春夫気分で浮かれていましたので(笑)。