嵯峨祭還幸祭の剣鉾:①澤瀉鉾篇。
5月26日、愛宕神社と野宮(ののみや)神社の共同祭礼・嵯峨祭の還幸祭での剣鉾の様子を。怒涛の5連発!です。まずは、澤瀉鉾(おもだかほこ)篇。
場所は、清凉寺門前の愛宕神社御旅所。5基の鉾が並びます。澤瀉鉾は右端。澤瀉鉾の護持は鳥居本町。錺(かざり)部分には、上に鳳凰、下に澤瀉。ここの5基にはそれぞれ房が付くのですが、紫と黄色。額の表には「愛宕神社」。裏には「大正十二年 癸亥(みずのとい) 五月吉日」の文字。1923年ですね。最初に澤瀉鉾が出発。嵯峨祭の剣鉾の差し方は独特の足運びです。鉾差しさんの法被(はっぴ)にも澤瀉模様。黒足袋で厳重な結び方の草鞋です。清凉寺方向に差して行きます。吹散(ふきちり・飾りの布)は表裏で違う意匠です。次の画像は、剣先のしなり、榊の色合い、房と鈴(りん)の位置が絶妙。涼やかな音が響き渡る中、今年は鳥居本方面では無く、右折して大覚寺方向へ。上は大覚寺門前交差点の画像。この後、5基全部が車で移動。大覚寺北の北嵯峨に向かいました。ということで、龍鉾に続きます。
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