左義長@新熊野神社:2023年1月15日。
左義長(さぎちょう・三毬杖とも)は平安時代の宮中行事に起源を持つとされ、どんど焼き(とんど焼き)等の名でも呼ばれる小正月に行われる火祭り行事です。
次は、11時の神事開始前の新熊野(いまくまの)神社の様。神籬(ひもろぎ・神様の憑代)に神様を迎えた後、修祓(しゅばつ・お祓い)です。その後、切幣(きりぬさ・白い四角い紙)と米・塩を撒きます。参拝者にも撒いた後、献饌(けんせん・お供え)・祝詞奏上と続きます。そして、竹を3本組み、門松・注連飾り等を巻き付けた左義長に点火の準備。そして、点火。すぐに白煙が上がり、山伏さんが法螺貝を吹き鳴らします。そして、最初の画像のように一気に炎が上がると、直ぐに倒します。倒す方向は恵方(えほう)とも言われていますが、ここでは違う方向でした。上のように山伏さんが般若心経を読み上げる中、火は次第に弱くなります。その後、参拝者に神威が及ぶように宮司さんが鈴を振り鳴らします。かなり長い列が出来て、大変そうでした。左義長は、歳神様を迎えた門松や注連飾り等を焼いて、炎と共に見送る意味があるとされます。今回も宮司さんは説明・神事の進行、と八面六臂の活躍でした。
この記事へのコメント
私も左義長へ行きました。が、全日に地元新聞がなんと一面に「左義長には年賀状・ダイダイ・もち・酒のビン・本・財布などを持ってくる人がいて困っている。財布は持って帰るように言うと『ネットで見た』と言って聞かない人がいて困っている」(白山ひめ神社神職談)とでかでかと出ていましたので文句言われないように注意して持っていきました(笑)。しかし火というのはなかなか眺めていると引き込まれるものがありますね。
はぁ,そんな記事が掲載されておりましたか。
AK様の仰る通り、左義長にしても、焚火にしても、護摩供にしても炎を観ていると魅入られますね。その昔、まだ狩猟・採集の生活のしていた人類にとって、火というのは命を守り、動物と人類を決定的に分けた大きなツールだったでしょうから、その遺伝子が我々にも伝わっているのかもしれません。
近々、初弘法での護摩供の様子をUPしますが、その時も炎を観ながらそんなことを感じておりました。