京都市京セラ美術館に「上村松園」を観に行く:外観・後篇。
京都市京セラ美術館シリーズ(笑)の第2弾は外観の続きです。わざわざ2回に分ける必要も無いだろう!…との声が聞こえてきます(笑)。花や動物なら一挙20枚UPなのですが、まぁ地味な画像が続きますので(笑)。まずはこちらの画像から。
最初の画像の右奥・山の上に見える建物は、青蓮院(しょうれんいん)の飛地境内である将軍塚青龍殿(せいりゅうでん)の屋根です。少し角度が違うのですが、夜景がこちら。リニューアルされた京都市京セラ美術館の大きな特色は、正面の扉こそ「開かずの扉」になったものの、中に入ると裏側に抜けられるようになったことです。中の様子の詳細は第3弾・第4弾に譲りますが(笑)、上の画像奥が東側の非常口から出られる庭園です(ただし、戻れません)。で、外へ出て東側の非常口を振り返った光景が上の画像(庭園は右)。そのまま、南側(琵琶湖水側)に回り込むと、ここにも重厚で立派な出入口が。前篇で記したように、この1933年(昭和8)年に「大礼記念京都美術館」として竣工した本館は、前田健二郎原案・京都市土木局営繕課設計による帝冠様式の建物に相応しい出入り口です。建物の装飾の1つひとつを眺めているだけで、しっかり時間が過ごせます。さらに回り込むと正面が見えてきます。第2次大戦後のGHQによる接収が解除されたのが1952(昭和27)年。京都市美術館と改名された訳ですが、少し正面に近づいた画像がこちら。で、真正面から。さらに北側の入口を撮ったのが、次の画像。南側の入り口と同じ形なのですが、こちらは駐車場がありますが、関係者入口なのでしょうか。外観・後篇の最期の画像は、こちら。次からは、青木淳・西澤徹夫両氏によってリノベーションされた中の様子は、またいずれ。上村松園ファンの皆様、絵の話が全然登場しなくて、ごめんなさい。何さま、画像が撮れないものですから…。
最初の画像の右奥・山の上に見える建物は、青蓮院(しょうれんいん)の飛地境内である将軍塚青龍殿(せいりゅうでん)の屋根です。少し角度が違うのですが、夜景がこちら。リニューアルされた京都市京セラ美術館の大きな特色は、正面の扉こそ「開かずの扉」になったものの、中に入ると裏側に抜けられるようになったことです。中の様子の詳細は第3弾・第4弾に譲りますが(笑)、上の画像奥が東側の非常口から出られる庭園です(ただし、戻れません)。で、外へ出て東側の非常口を振り返った光景が上の画像(庭園は右)。そのまま、南側(琵琶湖水側)に回り込むと、ここにも重厚で立派な出入口が。前篇で記したように、この1933年(昭和8)年に「大礼記念京都美術館」として竣工した本館は、前田健二郎原案・京都市土木局営繕課設計による帝冠様式の建物に相応しい出入り口です。建物の装飾の1つひとつを眺めているだけで、しっかり時間が過ごせます。さらに回り込むと正面が見えてきます。第2次大戦後のGHQによる接収が解除されたのが1952(昭和27)年。京都市美術館と改名された訳ですが、少し正面に近づいた画像がこちら。で、真正面から。さらに北側の入口を撮ったのが、次の画像。南側の入り口と同じ形なのですが、こちらは駐車場がありますが、関係者入口なのでしょうか。外観・後篇の最期の画像は、こちら。次からは、青木淳・西澤徹夫両氏によってリノベーションされた中の様子は、またいずれ。上村松園ファンの皆様、絵の話が全然登場しなくて、ごめんなさい。何さま、画像が撮れないものですから…。
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