かつて、ここには「白川児童プール」があったそうです!
行者橋、京都に住む前から少し疑問を持っていた場所があり、最近、買い物のついでに街中をチャリチャリしている時、その疑問が氷解しました。それが琵琶湖疎水から白川に水が流れ込む所にある「白川児童プール」!…まずは、その画像を。
その場所には、地下鉄東山駅1番出口から三条通に出て左に歩いてすぐ左折、お寿司屋さんのある突き当りで右折すると目に入る白川に架かる橋の手前で流れに沿って歩くとたどりつきます。なのですが、白川に架かる橋を渡り、右手に見える並河靖之七宝記念館を過ぎ、左に折れる小路も越えてさらに進むと、こんな場所に出くわします。この不思議な「三条通北裏白川筋東入上ル堀池町」の民家の下をくぐって進むと、目の前にこのような光景が広がります。実は、この場所は桜(染井吉野)の隠れた名所で、今年の春の様子がこちら。で、少し平安神宮の大鳥居方向に進むと川の中にコンクリート製の杭が。疑問に思っていたのはこれなんです。さらに進むと、奥の赤煉瓦が見える橋の手前にも同じようなコンクリート製の杭状のものも見えます。手前の杭を真横から撮影すると、真ん中に溝が。これは、板等を嵌めて水を溜めるための設備ですね。行者橋が育った四国・今治市の川や用水路にも同様のものがありましたので、分かります!…が、ここで何のために。で、よく見ると左岸(東)側に鉄製の梯子が(上の画像には2つですが、全部で3つ)。いや、これまた前々から、何故こんなものが…と訝しんではいたのですが。仁王門通に近づいてみると、こちらは杭では無くかなりがっちりした構造物でした。斜め上から見ると、溝が全部で3筋あります。と、上の画像奥の木々の間に!…「白川児童プール開設十五記念碑」「昭和四十八年七月 川端少年補導委員会岡崎支部」と刻まれた石碑が。なるほど、そうだったのか!…実は、1958(昭和33)年にここに夏の間だけ川を堰き止めたプールが作られて、子供たちが泳いだりしたのだとか。杭と構造物はそのため設備だったのです。橋の上から見ると。白川児童プールは、水質悪化のために昭和50年代(1975~84年)に使われなくなったそうです。仁王門通の仁王門橋は赤煉瓦も使われたコンクリート製。琵琶湖疎水関連の明治期の橋かと思ったら「昭和三十二年十一月竣功」とありました。この橋の架設を機に白川児童プールの構想が起こったのかもしれません。最後にもう1度、今年の春の桜の様子をUPしました。行者橋、1950(昭和25)年生まれですので、もしもこの辺りで生まれ育っていたら、間違いなくこの白川児童プールで泳いでいたことでしょう(笑)。泳ぎたかったな。
その場所には、地下鉄東山駅1番出口から三条通に出て左に歩いてすぐ左折、お寿司屋さんのある突き当りで右折すると目に入る白川に架かる橋の手前で流れに沿って歩くとたどりつきます。なのですが、白川に架かる橋を渡り、右手に見える並河靖之七宝記念館を過ぎ、左に折れる小路も越えてさらに進むと、こんな場所に出くわします。この不思議な「三条通北裏白川筋東入上ル堀池町」の民家の下をくぐって進むと、目の前にこのような光景が広がります。実は、この場所は桜(染井吉野)の隠れた名所で、今年の春の様子がこちら。で、少し平安神宮の大鳥居方向に進むと川の中にコンクリート製の杭が。疑問に思っていたのはこれなんです。さらに進むと、奥の赤煉瓦が見える橋の手前にも同じようなコンクリート製の杭状のものも見えます。手前の杭を真横から撮影すると、真ん中に溝が。これは、板等を嵌めて水を溜めるための設備ですね。行者橋が育った四国・今治市の川や用水路にも同様のものがありましたので、分かります!…が、ここで何のために。で、よく見ると左岸(東)側に鉄製の梯子が(上の画像には2つですが、全部で3つ)。いや、これまた前々から、何故こんなものが…と訝しんではいたのですが。仁王門通に近づいてみると、こちらは杭では無くかなりがっちりした構造物でした。斜め上から見ると、溝が全部で3筋あります。と、上の画像奥の木々の間に!…「白川児童プール開設十五記念碑」「昭和四十八年七月 川端少年補導委員会岡崎支部」と刻まれた石碑が。なるほど、そうだったのか!…実は、1958(昭和33)年にここに夏の間だけ川を堰き止めたプールが作られて、子供たちが泳いだりしたのだとか。杭と構造物はそのため設備だったのです。橋の上から見ると。白川児童プールは、水質悪化のために昭和50年代(1975~84年)に使われなくなったそうです。仁王門通の仁王門橋は赤煉瓦も使われたコンクリート製。琵琶湖疎水関連の明治期の橋かと思ったら「昭和三十二年十一月竣功」とありました。この橋の架設を機に白川児童プールの構想が起こったのかもしれません。最後にもう1度、今年の春の桜の様子をUPしました。行者橋、1950(昭和25)年生まれですので、もしもこの辺りで生まれ育っていたら、間違いなくこの白川児童プールで泳いでいたことでしょう(笑)。泳ぎたかったな。
この記事へのコメント
行者橋も子供の頃に田舎の川で泳いだことがありますが、流れが結構あり、海とは違う楽しさと難しさを知りました。ただ、川を堰き止めてプールにした場所は無く、そうした経験はありません。お父様の仰る通り、高度経済成長期の途中辺りまでは堰き止めプールが結構あったのではないでしょうか。その後、学校にプールが増えたような気がしますので、川プールが無くなっていったように思います。
https://www.47news.jp/6164889.html
実際はあまりここで泳いでいないという話も。
懐かしや、山中毅選手!…行者橋、メルボルン・オリンピックの姿は知らないのですが、ローマ・オリンピックでの活躍は見聞きしています。画像がTVだったか、映画だったかはあやふやなのですが。東京オリンピックの様子は学校のカラーTVで観た記憶が有ります。
しかし、その輪島のプールの話は凄まじいですね(笑)。記事を拝見すると、山中毅選手も泳いでいたかもしれないけど、山中後に整備された感じですね。
京都には、マラソンの金メダリスト・野口みずき選手が雨の日に早朝練習をしたという三条商店街(アーケード・約800m・通称:金メダルロード)が有名なのですが、実際にどのくらいの回数、走ったのでしょうか。案外、少なかったりして。ご存知の方、ご教示下さい(笑)。