祇園祭後祭山鉾建て:大船鉾篇・7月20日9時頃。
祇園祭後祭の山鉾建ての最初は大船鉾篇。7月20日9時頃を中心に18日16時頃の画像を交えて。まずは、金箔が貼られて一段と豪華になった船首の龍を。今年の大船鉾のTOPIC:その①です。
行者橋は18日16時頃に新町通を南側から進んで行ったのですが、四条通手前で大船鉾が建てられつつありました。近づくと、船形の大枠は建て上げられ、車輪こそ無いものの石持も付けられていました。前に回ると、少年が石持の石持の掃除中。次は20日9時頃の(少し角度が違いますが)同じ前からの画像。車輪も付けられていて豪華な金の龍も朝日を受けて輝いていました。大船鉾は、1864年8月20日(元治:げんじ元年7月19日)の禁門の変(蛤御門の変・元治の変とも)で焼失しました。次は、船首の龍の少しだけ大写し。そして、2014(平成26)年7月、150年振りに祇園会後祭巡行列の掉尾を飾り、その後も復興中。龍も2018(平成30)年の巡行では白木でした。上の画像は、再び、18日16時頃の船尾側(艫:とも)。次は縦横の構図は異なりますが、20日9時頃の艫側の画像。実は、今年の大船鉾のTOPIC:その②は「157年振りに新調された艫幕板飾り」なのです。次の画像は後ろ正面の「頭は鶏・身体に緑色の鱗・尾は獅子という鳥龍:ちょうりゅう」です。左右に彫られています。続いては右側の「甲羅を背負った犀:さい」。そして、左側には「海を渡る海馬:かいば」が。3枚セットで悪疫を退散し、世の中の安寧を祈るのだそうです。この艫幕板飾りは、東福寺の北にある瀧尾神社から寄贈されたものです。同神社の拝殿の彫刻と元の艫幕板飾りが同じ作者の手になると推定されたからとかで、その彫刻を参考に作成したのだそうです。そして、っ最後の4枚は7月20日9時頃の前からの様子等を。大船鉾は船の形を造るために櫓の木枠の外に、竹を組んだ網状の囲いを取り付けます。これが見られるのも鉾建てならでは。そして、この日、車輪に荏胡麻の油(荏油:えのあぶら)を塗っていらっしゃいました。丁度、八坂神社の神職の方がお見えになっていましたが、神事の後、無事に動くかどうか車掛け(試し曳き)をするようでした。最後は、もう1度、金の龍を真正面から。一昨年の巡行では、船首に金幣(きんぺい)が飾られました(こちらをご参照下さい)。1年交代で金幣と龍が船首に飾られるのですが、来年、無事に巡行があれば金の龍でしょう。楽しみです。なお、試し曳きは時間の都合で拝見できませんでした。
行者橋は18日16時頃に新町通を南側から進んで行ったのですが、四条通手前で大船鉾が建てられつつありました。近づくと、船形の大枠は建て上げられ、車輪こそ無いものの石持も付けられていました。前に回ると、少年が石持の石持の掃除中。次は20日9時頃の(少し角度が違いますが)同じ前からの画像。車輪も付けられていて豪華な金の龍も朝日を受けて輝いていました。大船鉾は、1864年8月20日(元治:げんじ元年7月19日)の禁門の変(蛤御門の変・元治の変とも)で焼失しました。次は、船首の龍の少しだけ大写し。そして、2014(平成26)年7月、150年振りに祇園会後祭巡行列の掉尾を飾り、その後も復興中。龍も2018(平成30)年の巡行では白木でした。上の画像は、再び、18日16時頃の船尾側(艫:とも)。次は縦横の構図は異なりますが、20日9時頃の艫側の画像。実は、今年の大船鉾のTOPIC:その②は「157年振りに新調された艫幕板飾り」なのです。次の画像は後ろ正面の「頭は鶏・身体に緑色の鱗・尾は獅子という鳥龍:ちょうりゅう」です。左右に彫られています。続いては右側の「甲羅を背負った犀:さい」。そして、左側には「海を渡る海馬:かいば」が。3枚セットで悪疫を退散し、世の中の安寧を祈るのだそうです。この艫幕板飾りは、東福寺の北にある瀧尾神社から寄贈されたものです。同神社の拝殿の彫刻と元の艫幕板飾りが同じ作者の手になると推定されたからとかで、その彫刻を参考に作成したのだそうです。そして、っ最後の4枚は7月20日9時頃の前からの様子等を。大船鉾は船の形を造るために櫓の木枠の外に、竹を組んだ網状の囲いを取り付けます。これが見られるのも鉾建てならでは。そして、この日、車輪に荏胡麻の油(荏油:えのあぶら)を塗っていらっしゃいました。丁度、八坂神社の神職の方がお見えになっていましたが、神事の後、無事に動くかどうか車掛け(試し曳き)をするようでした。最後は、もう1度、金の龍を真正面から。一昨年の巡行では、船首に金幣(きんぺい)が飾られました(こちらをご参照下さい)。1年交代で金幣と龍が船首に飾られるのですが、来年、無事に巡行があれば金の龍でしょう。楽しみです。なお、試し曳きは時間の都合で拝見できませんでした。
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