去年の…神幸祭:三御座出御@東大路通:2019.07.17。
豊園泉正寺榊・御神宝奉持列・久世駒形稚児の行列に続いて、いよいよ神輿の登場(出御)です。まずは、中御座の画像から。重さは約2トンとか。
八坂神社の主祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の神霊をのせる中御座は、6角形の屋根の上に鳳凰が飾られます。で、次の画像のように三若神輿会(さんわかしんよかい)の皆様が奉仕されます。ちなみに中御座は男神を表す紫色の袈裟懸けが掛けられます。そういえば、その前に京都市長(次の画像・左の黒紋付姿)」・京都府知事(中の白法被姿)も、三若神輿会会長(右)とご一緒に歩いておられましたね。三若神輿会の起源は、1690(元禄3)年頃から祇園祭の神輿渡御に奉仕した三条台若中と言われ、明治時代までは3御座全ての渡御に携わっていたそうです。なお、三条台若中はその後、三若組を経て三若神輿会となりましたが、三条台若中会所は武信稲荷神社の斜め前、六角獄舎跡の北にあります(三条大宮西2筋目下ル)。法被の背中には、3角マークが。で、続いては、東若御座の提灯を先頭に東若御座(子供神輿)の登場です。東御座と同様、屋根は4角形で擬宝珠が飾られています。こちらが東若御座。この後、東御座とは違うルートを巡幸します。その後、東御座を奉仕(担当)される四若神輿会の皆様が、四若の提灯を先頭に登場。素戔嗚尊の妻・櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)の神霊(神大市比売命・佐美良比売命も同座しているそうです:注①参照)をのせる東御座は、4角形の屋根の上に擬宝珠が飾られ、女神ですので赤色の袈裟懸けが掛けらます。重さ約2トン。四若神輿会は、江戸時代末期に木屋町四条近くの高瀬川船頭衆が三若神輿会に代わって、東御座神輿の渡御に奉仕したのが起源と言われているそうです。明治維新後、船頭衆を手伝っていた東山三条の若松町・若竹町が四若組と称し、その後四若神輿会になったと言われています。行者橋の住んでいる近辺の皆様なので、お顔だけですが存知上げている方々が大勢いらっしゃいます。法被の背中には4個の横長の長方形(で4角形)の上にの中に若の文字。そして、最後に西御座を担当される錦神輿会の皆様が、錦の旗と提灯を先頭に登場。法被の背中は錦の文字素戔嗚尊の8人の子供・八柱御子神(やはしらのみこがみ:注②参照)の神霊(稲田宮主須賀之八耳神も傍座とか:注③参照)をのせている西御座は、8角形の屋根に鳳凰が飾られ、赤色の袈裟懸けが掛けられます。最も重く約3.2トン。西御座は、かつて三若神輿会が奉仕していましたが、大正時代に壬生村の壬生組が奉仕するようになったものの、その後、壬生組が解散することになり、1947(昭和22)年から錦神輿会が西御座の巡幸(渡御)に奉仕しているそうです。ということで、中御座・東御座・西御座が石段下に集合し、若干の儀式があり差し上げ・差し回しを披露した後、それぞれ異なるルートを巡幸するのですが、それは次回。
*注①:神大市比売命(かむおおいちひめのみこと)・佐美良比売命(さみらひめのみこと)は、共に素戔嗚尊の妻。神大市比売命は大年神(おおとしのかみ)・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の母、佐美良比売命は大屋毘古神(おおやびこのかみ)・須勢理毘売命(すせりびめのみこと)の母とされます。
*注②:八柱御子神は、以下の通り。八島篠見神(やしまじぬみのかみ)・五十猛神(いたけるのかみ)・大屋比売神(おおやひめのかみ)・抓津比売神(つまつひめのかみ)・大年神・宇迦之御魂神・大屋毘古神・須勢理毘売命。
*注③:稲田宮主須賀之八耳神は櫛稲田姫命の母で、足名椎神(あしなづちのかみ)の妻とされますが、種々の説あり。
八坂神社の主祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の神霊をのせる中御座は、6角形の屋根の上に鳳凰が飾られます。で、次の画像のように三若神輿会(さんわかしんよかい)の皆様が奉仕されます。ちなみに中御座は男神を表す紫色の袈裟懸けが掛けられます。そういえば、その前に京都市長(次の画像・左の黒紋付姿)」・京都府知事(中の白法被姿)も、三若神輿会会長(右)とご一緒に歩いておられましたね。三若神輿会の起源は、1690(元禄3)年頃から祇園祭の神輿渡御に奉仕した三条台若中と言われ、明治時代までは3御座全ての渡御に携わっていたそうです。なお、三条台若中はその後、三若組を経て三若神輿会となりましたが、三条台若中会所は武信稲荷神社の斜め前、六角獄舎跡の北にあります(三条大宮西2筋目下ル)。法被の背中には、3角マークが。で、続いては、東若御座の提灯を先頭に東若御座(子供神輿)の登場です。東御座と同様、屋根は4角形で擬宝珠が飾られています。こちらが東若御座。この後、東御座とは違うルートを巡幸します。その後、東御座を奉仕(担当)される四若神輿会の皆様が、四若の提灯を先頭に登場。素戔嗚尊の妻・櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)の神霊(神大市比売命・佐美良比売命も同座しているそうです:注①参照)をのせる東御座は、4角形の屋根の上に擬宝珠が飾られ、女神ですので赤色の袈裟懸けが掛けらます。重さ約2トン。四若神輿会は、江戸時代末期に木屋町四条近くの高瀬川船頭衆が三若神輿会に代わって、東御座神輿の渡御に奉仕したのが起源と言われているそうです。明治維新後、船頭衆を手伝っていた東山三条の若松町・若竹町が四若組と称し、その後四若神輿会になったと言われています。行者橋の住んでいる近辺の皆様なので、お顔だけですが存知上げている方々が大勢いらっしゃいます。法被の背中には4個の横長の長方形(で4角形)の上にの中に若の文字。そして、最後に西御座を担当される錦神輿会の皆様が、錦の旗と提灯を先頭に登場。法被の背中は錦の文字素戔嗚尊の8人の子供・八柱御子神(やはしらのみこがみ:注②参照)の神霊(稲田宮主須賀之八耳神も傍座とか:注③参照)をのせている西御座は、8角形の屋根に鳳凰が飾られ、赤色の袈裟懸けが掛けられます。最も重く約3.2トン。西御座は、かつて三若神輿会が奉仕していましたが、大正時代に壬生村の壬生組が奉仕するようになったものの、その後、壬生組が解散することになり、1947(昭和22)年から錦神輿会が西御座の巡幸(渡御)に奉仕しているそうです。ということで、中御座・東御座・西御座が石段下に集合し、若干の儀式があり差し上げ・差し回しを披露した後、それぞれ異なるルートを巡幸するのですが、それは次回。
*注①:神大市比売命(かむおおいちひめのみこと)・佐美良比売命(さみらひめのみこと)は、共に素戔嗚尊の妻。神大市比売命は大年神(おおとしのかみ)・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の母、佐美良比売命は大屋毘古神(おおやびこのかみ)・須勢理毘売命(すせりびめのみこと)の母とされます。
*注②:八柱御子神は、以下の通り。八島篠見神(やしまじぬみのかみ)・五十猛神(いたけるのかみ)・大屋比売神(おおやひめのかみ)・抓津比売神(つまつひめのかみ)・大年神・宇迦之御魂神・大屋毘古神・須勢理毘売命。
*注③:稲田宮主須賀之八耳神は櫛稲田姫命の母で、足名椎神(あしなづちのかみ)の妻とされますが、種々の説あり。
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