去年の…後祭山鉾巡行:橋弁慶山@御池通:2019.07.24。
去年7月に行われたブログのシステム・メンテナンスの影響で、3週間ほど画像をUPすることができず使われないままお蔵入りしていた画像に陽の目を当てる目的で、若干ムキになって(笑)50日近く続けてきた「去年の…」シリーズも、残り3回です。で、本日は祇園祭後祭山鉾巡行の橋弁慶山篇。五条大橋の上での牛若丸と弁慶の対決の場面を造形化した山で、浄妙山と並ぶアクロバテックな山です。
後祭の山鉾巡行コースは、烏丸御池を出発して東に進み河原町御池で河原町通に入り、四条河原町で四条通を西に進んで四条烏丸までとなります。前祭のコースとは逆です。戦闘は祇園会の幡の下、祇園祭山鉾連合会理事長他の皆様です。行者橋は、後祭山鉾巡行を籤改めの場所の手前(御池寺町交差点の北西)で陣取ることが多いのですが、色々な画像が撮影出来て便利です。で、籤取らずの橋弁慶山が登場。牛若丸は橋の欄干の擬宝珠の上に足駄で立って片足を曲げ右手に太刀を持ち、鎧姿で大長刀を斜めに構える弁慶は朱塗りの脇差と1.8mの大太刀を佩(は)いています。橋は黒漆塗で、牛若丸は足駄金具1本を擬宝珠に差し込んで支えられています。次の画像では小さくて分かり難いのですが。前懸は富岡鉄斎・原画の「椿石図綴錦」(1983=昭和58年から使用)。赤の目立つ水引は「唐子嬉遊図綴錦」、胴懸は円山応挙の下絵と伝えられている「加茂祭礼図綴錦です(復元新調)。橋弁慶山には見送が無いので「雲龍文様刺繍」の後懸を見ることができます。元々の前懸が中国清頃の「雲龍波濤文様綴錦」だったので、それに対応しています。舁き手さんで隠れて見えにくいのですが、青い裾幕が涼やかです。白抜きの模様で芦・波・蛇籠で鴨川を表しているそうです。ちなみに、弁慶と牛若丸の人形には1563(永禄6)年の大仏師康運・作の銘があり、牛若丸の足の鉄串には1537(天文丁酉=6)年の右近信国の銘があるそうです。
後祭の山鉾巡行コースは、烏丸御池を出発して東に進み河原町御池で河原町通に入り、四条河原町で四条通を西に進んで四条烏丸までとなります。前祭のコースとは逆です。戦闘は祇園会の幡の下、祇園祭山鉾連合会理事長他の皆様です。行者橋は、後祭山鉾巡行を籤改めの場所の手前(御池寺町交差点の北西)で陣取ることが多いのですが、色々な画像が撮影出来て便利です。で、籤取らずの橋弁慶山が登場。牛若丸は橋の欄干の擬宝珠の上に足駄で立って片足を曲げ右手に太刀を持ち、鎧姿で大長刀を斜めに構える弁慶は朱塗りの脇差と1.8mの大太刀を佩(は)いています。橋は黒漆塗で、牛若丸は足駄金具1本を擬宝珠に差し込んで支えられています。次の画像では小さくて分かり難いのですが。前懸は富岡鉄斎・原画の「椿石図綴錦」(1983=昭和58年から使用)。赤の目立つ水引は「唐子嬉遊図綴錦」、胴懸は円山応挙の下絵と伝えられている「加茂祭礼図綴錦です(復元新調)。橋弁慶山には見送が無いので「雲龍文様刺繍」の後懸を見ることができます。元々の前懸が中国清頃の「雲龍波濤文様綴錦」だったので、それに対応しています。舁き手さんで隠れて見えにくいのですが、青い裾幕が涼やかです。白抜きの模様で芦・波・蛇籠で鴨川を表しているそうです。ちなみに、弁慶と牛若丸の人形には1563(永禄6)年の大仏師康運・作の銘があり、牛若丸の足の鉄串には1537(天文丁酉=6)年の右近信国の銘があるそうです。
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