「どうぞ、ご贔屓に」の“ひいき”というのは、実はこれなのですが、ご存知でしたか。
秋雨前線と台風16号の影響で雨が続いていた京都ですが、21日は曇り空ながら、ようやく雨が上がったので、東寺の弘法市へチャリチャリ。本当は“お砂踏み”の様子をUPする予定だったのですが、以前からUPしようと思っていた“ひいき”の画像を撮り直しましたので、そちらを先に。
これは亀ではなく、“贔屓:ひいき”(*蛇足①を参照)という中国の伝説上の動物で、「龍が生んだ9種類の子供の1種で、様々な場面で活躍をするものの成長しても龍にはなれない」とされています。龍自体が想像上の動物なのに、奥の深い話です(笑)。全体像は“尊勝陀羅尼(そんしょうだらに)の碑”という、この石碑です。“尊勝陀羅尼”というのは“仏頂尊勝陀羅尼”の略ですが、「釈迦如来の頭のお椀状に盛り上がっている部分(肉髻:にっけい)を神格化した仏様(尊勝仏頂尊)に捧げられる呪文(陀羅尼)」という意味です。で、“贔屓”は重い物を背負うことを好むと言われ、古くから柱や碑を支える土台の装飾に多く使われます。石碑の土台として使用された場合には“亀趺:きふ”とも呼ばれるそうですが、これまでの画像で分かるように、多くの参拝者が“贔屓”のあちこちを撫で擦ります。そばに立てられた駒札には「万病平癒の御利益」があり、「万病ぬぐいのの布で贔屓を擦り、自身の患部を擦ってください」とあります。布は500円。実際には、上の画像のようにほとんどの方が手で直接擦っています。江戸時代、日本に眼病患者が多かった原因の1つに、眼病患者が平癒を祈って手で擦った仏様を別な人が手で擦って目に当てた結果、逆に眼病が広がったのだと聞いたことがあります。上の画像の方は肩とかですので大丈夫かな。上の画像の“贔屓”の正面に立ったがいこくの方が頭に手を当てているのは、たまたまでしょうね(笑)。奥に国宝・御影堂(大師堂)が見えますが、3年後の年末まで檜皮葺の屋根と建物を修理を行っていますので、木組みが施されています。こちらが、上と同じく後堂側の様子。以前、「国宝なのに」というタイトルで、ここでの護摩法要のことをUPしました(こちらをご参照下さい)が、流石にここでは実施していないようでした。こちらが“尊勝陀羅尼の碑”の近辺の様子。上の画像手前の井戸のような中にあるのは“天降石:てんこうせき”です。古くからこの場所にあったそうで、江戸時代には“護法石(五宝石)”とか“不動石”と呼ばれていたのが、いつの頃からか“天降石”と呼ばれるようになったとか。“贔屓”と同様に病気平癒のための「撫で石」とされています。そういえば、明治になって感染防止のために、こうした「撫で石」等が禁止されたという話も聞いたなぁ…。最後に、「贔屓の引き倒し」という諺は、「ある者を贔屓し過ぎると、逆にその者を不利にして、その者のためにならない」という意味ですが、元々は、まさに「土台である贔屓を引っぱると上の碑や柱が倒れる」ことに由来するとか(*蛇足②を参照)。
*蛇足①:贔屓は、本来、{びし」あるいは「ひき」という読みで、長音化して「ひいき」になったとか。贔は貝が3つある=財貨が多い、屓も元は貝が3つある形で、贔と同意(財貨を多く抱える)。この意味が「重い荷物を背負う」「盛んに力を使う」「鼻息を荒くして働く」等に変化して、転じて「特定の人を助ける、支える」となったとか。
*蛇足②:いやぁ、朝一番の放送や新聞紙面で阪神のことを大きく取り上げないと夜が明けない、阪神贔屓を公言する関西のメディア(新聞・ラジオ・TV等)を思い出します(笑)。野村克也・元阪神監督はもっと明確かつ詳細に辛辣なことを仰っていますが…。
これは亀ではなく、“贔屓:ひいき”(*蛇足①を参照)という中国の伝説上の動物で、「龍が生んだ9種類の子供の1種で、様々な場面で活躍をするものの成長しても龍にはなれない」とされています。龍自体が想像上の動物なのに、奥の深い話です(笑)。全体像は“尊勝陀羅尼(そんしょうだらに)の碑”という、この石碑です。“尊勝陀羅尼”というのは“仏頂尊勝陀羅尼”の略ですが、「釈迦如来の頭のお椀状に盛り上がっている部分(肉髻:にっけい)を神格化した仏様(尊勝仏頂尊)に捧げられる呪文(陀羅尼)」という意味です。で、“贔屓”は重い物を背負うことを好むと言われ、古くから柱や碑を支える土台の装飾に多く使われます。石碑の土台として使用された場合には“亀趺:きふ”とも呼ばれるそうですが、これまでの画像で分かるように、多くの参拝者が“贔屓”のあちこちを撫で擦ります。そばに立てられた駒札には「万病平癒の御利益」があり、「万病ぬぐいのの布で贔屓を擦り、自身の患部を擦ってください」とあります。布は500円。実際には、上の画像のようにほとんどの方が手で直接擦っています。江戸時代、日本に眼病患者が多かった原因の1つに、眼病患者が平癒を祈って手で擦った仏様を別な人が手で擦って目に当てた結果、逆に眼病が広がったのだと聞いたことがあります。上の画像の方は肩とかですので大丈夫かな。上の画像の“贔屓”の正面に立ったがいこくの方が頭に手を当てているのは、たまたまでしょうね(笑)。奥に国宝・御影堂(大師堂)が見えますが、3年後の年末まで檜皮葺の屋根と建物を修理を行っていますので、木組みが施されています。こちらが、上と同じく後堂側の様子。以前、「国宝なのに」というタイトルで、ここでの護摩法要のことをUPしました(こちらをご参照下さい)が、流石にここでは実施していないようでした。こちらが“尊勝陀羅尼の碑”の近辺の様子。上の画像手前の井戸のような中にあるのは“天降石:てんこうせき”です。古くからこの場所にあったそうで、江戸時代には“護法石(五宝石)”とか“不動石”と呼ばれていたのが、いつの頃からか“天降石”と呼ばれるようになったとか。“贔屓”と同様に病気平癒のための「撫で石」とされています。そういえば、明治になって感染防止のために、こうした「撫で石」等が禁止されたという話も聞いたなぁ…。最後に、「贔屓の引き倒し」という諺は、「ある者を贔屓し過ぎると、逆にその者を不利にして、その者のためにならない」という意味ですが、元々は、まさに「土台である贔屓を引っぱると上の碑や柱が倒れる」ことに由来するとか(*蛇足②を参照)。
*蛇足①:贔屓は、本来、{びし」あるいは「ひき」という読みで、長音化して「ひいき」になったとか。贔は貝が3つある=財貨が多い、屓も元は貝が3つある形で、贔と同意(財貨を多く抱える)。この意味が「重い荷物を背負う」「盛んに力を使う」「鼻息を荒くして働く」等に変化して、転じて「特定の人を助ける、支える」となったとか。
*蛇足②:いやぁ、朝一番の放送や新聞紙面で阪神のことを大きく取り上げないと夜が明けない、阪神贔屓を公言する関西のメディア(新聞・ラジオ・TV等)を思い出します(笑)。野村克也・元阪神監督はもっと明確かつ詳細に辛辣なことを仰っていますが…。
この記事へのコメント
私はできるだけ朝は目覚ましテレビをみています。辛坊氏好きの夫とバトルしながら。後者の番組では勝ち負け関係なく、そのコーナーだけアナも法被をきて阪神戦の結果が紹介されます。、、、、。もう、あまりの阪神愛に、言葉が見つかりません。